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doLuck jazz DLC-18 2,400円(税別) 6月20日発売 |
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Liner Notes 憧れというものは時として残酷なもので、夢見ているうちはいいがいざ我に返るとあまりの現実とのギャップに打ちひしがれてしまう。いくら憧れたって私にはなれないもの――クールなメガネ男子のジャズピアニスト。物憂げにピアノの前に座り、ひとつため息をつきおもむろに細く長い指で弾き始める。少し哀し気なメロディにベースとドラムが加わり徐々に感情が高まり、いつの間にかクールな外見とは裏腹に指先から情熱がほとばしりスポットライトに汗が煌めく。メガネのフレームの奥に垣間見える鍵盤を見つめる真摯な視線にハッとする。みんな知ってるけど、神様は不公平だ。どうやったってかないっこない。 そんな憧れのメガネ男子、武藤勇樹は都内のライブハウスで活躍する新進のピアニスト。5歳でピアノを始め、中学・高校時代は吹奏楽部でオーボエを吹き、音大に進みたかったが成績が良かったのが災い(?)して、ご両親に反対され法曹界の名門中央大学法学部へと進んだ。結局そこでビッグバンドの「スイング・クリスタル・オーケストラ」のピアノを弾くことになり、ジャズの世界に入った。卒業間際に進路に悩んでいるころに吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のジャズセッションに遊びに行ったことから小林麻里(vo)、山本真理子(vo)らとのジャズ人脈が広がり高田馬場「Cotton Club」、「Intro」などの深夜セッションで腕を磨き、新宿「J」、銀座「Venus」調布「Ginz」関内「AIREGINE」「ADLIB」などで演奏し、プロの道に進むことになった。 順風満帆の道を望まれたご両親には申し訳ないが、ここはジャズの神様に感謝しよう。ジャズの神様はいいピアノ弾きはぜったいに見逃さない欲張りなのだ。彼のピアノは雨に煌めく紫陽花のように多様な色彩に溢れている。情熱的なリズムにハッとするかと思えば、雨上がりの雨粒のように眩しいメロディを奏で、一転、深い思考を呼び起こす理知的なバラードも、一転して息もつかせぬ軽やかに走り抜けるスピード感も、そしてオリジナルで見せるポップスセンス。この久々にクールで華のあるピアニストをジャズ界が見逃すわけもなくdoLuckレーベルからデビューアルバムの発売となった。 脇を固めるのは大橋祐子トリオや立石一海トリオなどで活躍する一方、オペラ歌手錦織健のCDやツアー、銀河万丈の朗読会での演奏など多彩な活躍をみせる佐藤忍(b)。アルバム全体を通して佐藤のベースプレイは静かな躍動を魅せ印象的だ。武藤がプロになるまでに大変にお世話なったという鎌倉規匠(ds)は、ドラマーとしてだけでなく人・街・港同士をJazzでつなぐプロジェクト団体『音美都(onbeat)』の主宰者でもある。デビューアルバムながら構成がビシッとしまっているのは彼の力が大きいのかもしれない。 さて、ここで武藤が選んだ曲を見ていこう。 1曲目は影響を受けたピアニストのひとりチック・コリアの「Armando's Rhumba」。Who is Mutoh? という人に目を覚まさせるのに十分なインパクトだろう。モノローグのように始まる哀し気なピアノにベース、ドラムが静かに加わり徐々に感情の高まりを見せ抑えきれない情熱がほとばしる。 2曲目の「A Time for Love」はドラムが時計のように刻むリズムにベースが絡み、武藤のピアノで感情がうねり、パーティーで息をつめた視線から始まる男女の恋が華やかに踊るダンスで輝くラブストーリーを見るかのようだ。 「Be My Love」はこれも影響を受けたというビル・チャーラップのように、いっぺんのしわもない漆黒のタキシードに身を包んだ高貴なリズムを披露している。 4曲目の「You Don't Know What Love Is」も言わずと知れた大スタンダード。ジャズにおける色気はまだまだこれから深まっていく歳だと思うが、低く深い音色に一瞬の月明かりのような高音が散りばめられ揺れ動く気持ちがよく表現されている。佐藤のベースの絡みがまたうまい。アルバムタイトルとなった。 5曲目は「I Loves You, Porgy」。軽やかなメロディに心地よいスピード感、初夏の爽やかな風を感じつつ海岸線をオープン2シーターで駆け抜けるような高揚感。ワンテイクで一発オーケーとなったのもうなずける。 6曲目はデューク・エリントンの名曲「Sophisticated Lady」をピアノソロのバラードで。深夜の人気のないバーに広がるモノクロームの世界。左手のピアノの一音一音で墨絵の濃淡の幅が広がり、右手の一音で墨絵の世界が一瞬湖面のように揺らぐ。 ビリー・ホリデイが歌いレスター・ヤングがサックスを吹いて人気となった「Easy Living」は、ゆったりとロッキングチェアにでも揺られながら聴いていたい息のあったトリオの演奏。ベースとドラムの安定感が武藤のピアノの魅力をさらに引き出している。 スタンダードのラストは超人気曲で名演も多い「I'll Remember April」は何かの始まりを告げる雄叫びのように繰り返されるベースの低音が印象的なイントロ。ピアノとドラムが加わり一気にスピードアップ。この坂を一気に駆け降りるようなスピード感はジャズの真骨頂と言える世界を見事に弾ききっている。 ラスト2曲は武藤勇樹のオリジナル。 「Kaiko」は吹奏楽部で鍛えたオーボエでのピアノレストリオ。丁寧に音の道筋を辿っていくかのように吹くオーボエの音色は、前曲での興奮を心地よく覚まさせる。ベースソロに続くアルコ(弓)がオーボエの印象的な旋律と音を紡いでいく。 アルバムの最後を飾るのは「Passo da Menina」。「女の子のステップ」という意味だろうか。再び軽快なドラムとピアノのリズムで始まり、ベースがやや乱暴に切り込み、弾むようなメロディに戻り、転調して少しワイルドに遊び、また少女の屈託のない笑い声のようなメロディへと戻り、最後はカオス。予測不能(ときとして凶暴?)な女の子の世界なんだろうか。 こうして一枚聴き終わって、ふと彼がまだ20代半ばの若者でこれがデビューアルバムであることを思い出す。やはり神様は不公平だ。そして、この才能あふれるメガネ男子にもっともっととせがむジャズの神様はほんとに欲張りだ。だが、その期待は間違っていない。 白澤茂稔(MOONKS)
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